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あと5分の後悔の巻

あまり思い出したくないふうさんの最後の時。

4月23日の朝のふうさん。

前日の午後に痙攣が10回ほど群発したあとは、ずっとこんな顔で寝ていた。
痙攣が起きる1~2週間前から口の中の粘液がとても多くなっていたのだけど、痙攣が起きてからさらに増えていた。

それが群発の痙攣がおさまったあと、亡くなる日の朝は、その粘液が口の中になくて、少し落ち着いたのかなと思っていた。
本当は群発の痙攣のあとなので、お仕事を休もうかと思ったのだが、今月はすでに1週間を私の体調不良で仕事を休んだこともあって、休むのに気が引けたのだ。

朝、起きてみるとふうさんの左後ろ足以外の手足が冷たかったので、米ぬかカイロで温めて、そして仕事に出かけた。

両前足に米ぬかカイロ

仕事をしながらずっとお留守番カメラはチェックしていた。
たまに肩がビクっとしていたけど痙攣は起きなかった。
それが11時半を過ぎたころに口をくちゃくちゃしだして、粘液を出そうとしている様子が見えたので、急いで仕事を切り上げて家に向かった。

車の中でもふうさんの様子をチェックしていたのだけど、あと5分ぐらいで家に着くというころからふうさんに動きがなくなった。

案の定、帰宅してふうさんに駆け寄ると、ふうさんの口の中と舌は真っ白になっていた。
あとでゆっくりカメラの録画を確認してふうさんの最後の瞬間を頭に刻んだ。
特に苦しんだ様子はなかった。
それだけが唯一の救い。

でも「なぜ仕事を休まなかったのか」その後悔だけは残る。
あと5分、早く会社を出ていればとも。

大左エ門の時は、最後の最後まで抱っこをしていたし、毎日何時間も発作を起こして苦しんでいる大左エ門を見てきたので亡くなったときは、むしろやりきった感があった。
もちろん、まだふうさんもいたし実父の入院~葬式なども重なり悲しみを感じている暇もなかったのだけど、ふうさんに関しては、最後の5分の後悔もあるし、もっと手作り食も頑張ればよかったという後悔もある。
お世話のほうが大変で、いつのころからか夜の手作り食を手抜きしていた。
ふうさんの腎臓の数値が気になり始めて、手作りに自信がなかったこともある。
でもやっぱりちゃんと作ってやればよかったなぁと。

ふうさんの最後には立ち会えなかったけど、最後の最後までふうさんを見届けたよ。
私の脳裏には、鮮明に最後のふうさんが刻まれている。
思い出すと涙が止まらなくなるので、もうこの話はおしまい。

少しづつ部屋も片づけている。
今まですべてがぶひ優先に環境づくりをしていたけど、ぶひたちのベッドも片づけた。
部屋がまるで今までも何もなかったかのようにスッキリとしている。

こうして少しづつ新しい時間が流れていくのだね。

掃除をしていると、まだまだぶひたちの被毛なども落ちている。
ふうさんの鼻の頭のボコボコが取れたものも落ちていた。
そして、さらなるふうさんの置き土産もあったのだ・・・。

出雲ぶっひ~ずらしい置き土産だった。

コメント

  1. アトゼク母 より:

    摩耶さんはたくさんの愛情でふうさんを見送ってあげられたと思いますよ。薬やご飯の事も勉強して、毎日介護して、元気だった頃も、シニアになってからも、こんなにも大切にしてもらって、ふうさんも大ちゃんも本当に幸せだな犬生だったと思います。
    私も、もちろんアトムが大切です。だけど摩耶さんほどの事が自分にできるかと言ったら…自信がないです。

    摩耶さん自分を責めないでください。
    ぶっひーず達と過ごした時間、とっても幸せな時間。
    それは摩耶さんの愛情あってこそですから。

    さすが、ふうさん、置き土産するなんて。
    お空に行っても、摩耶さんにサプライズ!
    何だったのか気になります(笑)

    • 摩耶 より:

      アトゼク母さん。
      ありがとうございます。
      アトゼク母さんもゼクのとき、すごく頑張られたなと思っています。
      みなさんやれるだけのこと、やられてるなと、ほかの飼い主さんたちを
      見てもぶひの飼い主さんって、ほんと愛情深く育てられる人が多いなと
      思います。
      私はスパルタでしたからねぇ。
      ふうさんも大左エ門も本当はもっと素直に甘えたかっただろうなと。
      歩けなくなってからなんて、本当はもっと優しくできたのに・・・と
      ふうさんにも大左エ門にもごめんねと思っています。

  2. みっく より:

    こんなことを言っても気休めにもならないかもですが、
    何度も言うけれど、ふうさんがそれを選択したのだよ。
    摩耶さんが会社を休んで家にいたとしても、トイレに入った隙や
    洗濯物を干している隙をふうさんが選んだと思う。
    それこそ、家にいた時を選んでいたら大変な後悔になるのが解っていての選択だったと思う。
    録画が残っていて見返せられるって、なんかすごいハイテク(笑)
    無いわ~うちにはそれ。
    写真もしばらく時間が経って撮ったし・・・記憶の中にしかもう残っていない。

    置き土産するなんて、やるじゃんふうさん(笑)

    • 摩耶 より:

      みっくさん。
      そうなのよ、ふうさんらしい選択だなと思う反面、
      ふうさんの性格を考えると、本当はそばに
      いてほしかったよねってなるから。
      やっぱりそこは後悔している。
      人一倍繊細で怖がりで甘えん坊のくせに強がるからね、ふうさんは。
      私も「そんなことで負けないよ。」と小さい時からことあるごとに
      言って育てたし、だからアマノジャクに育ってしまった(笑)
      だからこそ最後ぐらいちゃんとそばにいてやりたかったなと思う。
      だからふうさん、5分前なんだよね。
      私が帰ったときはまだ体が暖かくて、なんとなく私が帰ったことを
      わかったんじゃないかなって思うような感じ。
      亡くなってからもカートに乗せて庭を歩いたり病院に連れて行ったり
      抱っこして庭をまわったり、寝るときも手を握って寝たり、
      火葬場に行く車の中でも足枕で寝たり。
      ふうさん、最後に少しは甘えてくれたかなって思う。